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合唱団と私 

高校二年(昭和36年)の秋、岡谷南高校男声合唱団に在籍していた私は、指揮者の渡辺功先生からに岡谷合唱団のコンクール応援要請があり入団。翌年夏の合宿で、岡谷市湊「久保寺」での合宿に参加。  
 

 

昭和42年は全日本合唱連盟創立20周年記念として「日本の合唱曲の歴史演奏会」が新宿の厚生年金会館ホールで開かれ、100名余の団員で どじょっこふなっこ 不尽山を見て ソーラン節 を歌い上げた。
 

 

年間の大きなステージといえば、定期演奏会とコンクール、この二つがあげられる。岡谷は昭和34年第1回合唱コンクール長野県大会を皮切りに、昭和55年名古屋での全国大会出場という所までコンクールを続けた。

昭和57年11月29日、ウィーン楽友協会と長野県民文化会館との姉妹提携調印式が行われ、両者の固い握手が交わされた。

昭和57年、指揮者に関屋晋先生をお迎えしてから、多くの音楽家や演出家、評論家の皆さんと出会うことができた。

 
欧州片隅見聞録
数回にわたる海外への演奏旅行で、目にしたものを写真に撮ってきた。それらを『欧州片隅見聞録』としてまとめてみた。
 

少人数になって今までの活動を見直し、アンサンブルを楽しめる仲間作りをするため暗中模索中。そして団員募集中。

カノラホールと市民が一体となって繰り広げる音楽イベントとして、1994年に立ち上げた。