昭和36年 岡谷南高等学校合唱クラブに在籍しながら吹奏楽部創設  小バス(ユーフォニウム)担当 昭和36年10月15日 第2回長野県合唱コンクールにおいて、岡谷南高等学校合唱クラブ 第二位入賞 昭和38年2月17日 第一回湖辺会(常任指揮渡辺功先生の合唱団総称)合同演奏会 昭和37年6月24日 入団一年目(高校3年)岡谷合唱団 八ヶ岳天狗岳登山に参加 長野県合唱コンクール「一般の部」優勝記念祝賀会 創立10周年記念リサイタル ロシア民謡集を演奏  昭和39年4月19日 塩嶺会館広場で合唱団内ソフトボール大会 三十二人切り 対 モラッターズ 昭和42年7月13日 岡谷合唱団第14回リサイタルにおいて、指揮:渡辺功、ピアノ連弾:川口耕平・田辺徹、ソプラノ:川口千枝、アルト:伊原直子、テノール:吉田功、バス:鹿野道男によりヴェートーベン「第九」が演奏された。 蓼科湖で合唱団スケート大会 昭和38年8月 岡谷南高校男声合唱団夏合宿におけるパート練習で。 昭和38年8月 岡谷南高校男声合唱団霧ヶ峰高原ゲレンデにて夏合宿 岡谷合唱団の夏合宿は岡谷市湊、久保寺(きゅうほうじ)で行われ、休憩時間渡辺先生のアコーデオンでハモった。

 入団のきっかけ

岡谷市立中央小学校4年生で学校の合唱班に入り、合唱コンクールに出場したのが合唱との関わりだった。「ひつじ」や「花のまわりで」が課題曲だった。守屋先生、横内孝夫先生が顧問だった。
中学に入り合唱を続けたかったが、合唱クラブは女子40名の女声合唱だったので、天文気象クラブに入り、3年間は一日も休まずラジオから聞こえる気象通報を記録したり、「ジャコビニ流星群」の観測をし文化祭で発表などもした。合唱はクラス対抗のコンクールで指揮をしり、合唱の好きな男子8名で「ダブルクァルテット」を組み、伊藤素子先生のもと楽しんでいた。
高校は天文気象クラブがなく地学クラブに所属して「八ヶ岳南麓における開拓農民」というテーマで何もない清里の牧草地を歩き回った。二年の春(昭和36年)のクラブ組み替え時に、合唱クラブに入るや、いきなり技術係を仰せつかり、サブパートリーダーとなった。その夏、合唱団の顧問である渡辺功先生から「岡谷合唱団の男声が足りないので手伝ってくれないか」と5〜6名のメンバーに声がかかり、合唱コンクール中部大会(富山市)に出かけた。これが岡谷合唱団に入団するきっかけとなり、今日に至る。