昭和53年9月、信濃文化研究会によって、およそ三年間にわたる研究の成果として「諏訪いるはかるた」が発刊された。父は同会の会員であり、日々絵札と格闘をしていた。というのも全ては諏訪の歴史上の出来事や言い伝え、人物を描かなくてはならないからだ。そして一見してそれとわかる絵にしなくてはならない。大変な荷重であったことが想像された。