公式なプロフィールは、関係の合唱団のホームページなどに記載されているので、ここでは違った角度から佐原玲子を紹介します。
幼少からピアノを習い、高校二年まで音楽大学のピアノ科を目指していたが、医者であった父親の急病により断念、急遽ターゲットを国立である新潟大学教育学部に変更、入学後も奨学金の需給はもとより、料亭仲居のお手伝いや家庭教師など、あらゆるアルバイトをして、家からの学費を押さえ込んだ。副科に選んだのは社会科。仲間と、また1人でユースホステルを使いながら日本中を歩き廻った。いわゆる貧困旅行だ。行かなかったのは沖縄くらいかも知れない。
卒業後は長野県の教員試験に合格し、音楽教師として上諏訪中学校に赴任。その後7年間にわたり教職にあったが、その間岡谷合唱団に入団、10年間にわたりピアノ伴奏者の重責にあった。
団内結婚第12号として佐原武と結婚。子育てのため合唱から一時離れたが、「合唱をしたい」という同じ思いの仲間を集め、女声合唱団を立ちあげた。これが「女声コーラスしなの」である。また、住んでいる岡谷川岸地区の母親に呼びかけ作ったのが「川岸女声コーラス」。カノラホールができホール付きの少年少女合唱団を作る動きがあり、音楽監督に関屋晋先生をお願いしたところ、「地元に佐原玲子という熱心な指導者がいるから彼女にやってもらえ」ということからそれを引き受けたのが「カノラ少年少女合唱団」。サイトウキネンフェスティバルにおけるオペラ「火刑台上のジャンヌダルク」でオーディションによって集められた子供合唱団も、関屋先生の意向で佐原玲子が面倒をみた。その後、出演した子供たちを中心に立ち上がった合唱団が「SK松本ジュニア合唱団」である。「カノラ少年少女合唱団」を卒団した団員たちは合唱を大学進学後も熱心に続け、卒業とともに県内各地の小中学校で音楽の教職に就いた。彼らは仲間に呼びかけるとともに、合唱の輪を拡げていくという大きな目標を掲げ「歌い人ごんべ」を立ちあげた。常任指揮者に松下耕先生をお迎えし、佐原玲子は音楽監督という立場で活動している。
その間、南信合唱連盟理事長、長野県合唱連盟副理事長を歴任し、現在おかや音楽協会副会長の任にある。