ドイツから帰国したばかりの吉江忠男氏が、東京で仕事をされるものと思っていたが、彼は地元に帰り、そこで音楽活動をされることを選ばれた。フランクフルト歌劇場専属歌手として12年間活躍された現役バリバリの彼が、岡谷の地に於いて何をされるか非常に興味が湧いた。彼が始めたのは「カンタータ・コア」というバッハのカンタータを中心に演奏活動をするという団体だった。日常の生活の中にクラシック音楽が根付いているドイツの文化が、日本にはないことに愕然とし、自らが率先してそういう文化を作り育てたいとおもったと後に語っていた。そんな彼の情熱を感じ私も彼の門を叩いた。ヨハネ受難曲は3〜4回演奏したし、何曲ものカンタータを歌うことが出来た。
岡谷市文化会館カノラホールが設計段階の時、彼の尽力で旧西ドイツフランクフルト歌劇場の設計図を参考にすることが出来た。素晴らしい音響のホールが完成と同時に彼は同館の名誉館長に就任、そのホールに於いて最も得意としたシューベルトの「冬の旅」のレコーディングがおこなわれた。当初CD一枚に収めることになっていたが、彼の思いを充分に伝えるには74分というCDの時間制限には当てはまらず、急遽2枚組となった。
私の知人を通して当時日本で指折りのレコーディング会社の齊藤ディレクターと山崎エンジニアを紹介され、1991年11月14日レコーディングされた。CD製作にあたっては、弊社得意先H社の濵義明専務のご厚意で純金(24K)コーティング技術による特製ゴールドCDが完成した。今でもこれ以上のものはないと自負している。又、挟み込みのパンフレットも、すべて私の手造りで、中でも24曲すべての和訳と挿入した3枚の写真も担当させていただいた。
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