佐原永泉(山岡龍雄、後の佐原久吉)は1916年(大正5年)諏訪郡湊村花岡に山岡家の3男として生まれた。小学二年生の時、諏訪郡下の展覧会で武井武雄氏の審査で二等賞になった。幼い頃から隣家の画家で二科で活躍されていた山岡与平氏の絵に魅せられ、氏のアトリエを覗き込んだり、野外写生に付いてまわっていた。旧制諏訪中学校では四年迄岸田劉生門下の高橋貞一郎氏の授業を受けた。当時県下の中学校では油絵具の使用例はなく、氏のもとで徹底した写実を教えられた。五年夏休みに岐阜へ宿泊研修に出して貰った。そこで陶芸、木工の実習をさせて貰った。又アトリエ社版の美術講座デッサン科五冊組を買って貰い、ドラクロアの桿馬、ミレーの裸婦、ミケランジェロやダビンチの人物素描など、何枚も何回も繰りかえして模写した。